教会の奥深く
冷たい石の壁に囲まれた
薄暗い部屋。
そこへ澄音は無造作に放り込まれた。
教会の奥深く
冷たい石の壁に囲まれた
薄暗い部屋。
そこへ澄音は無造作に放り込まれた。



夜明けと共に儀式が始まる。
あのオスに出おうたことを悔い改めよ


フミの冷ややかな声が響く。
彼女は動けぬ澄音を
見下ろしながら
手にしていた梅の花弁を
ひらと撒いた。
淡い香りが狭い部屋に漂う。
そして、何の未練も
ないかのように踵(かかと)を
返し重い扉が閉じられた。
バタン——
静寂が訪れる
澄音は、力の入らぬ体を
這わせながら花弁を拾い上げた。
指先に触れる柔らかな感触
——先ほどのあのオス
なぜ思い出せないのだろう。
記憶の奥に沈んだままの何かが
じわりと浮かび上がろうとしている——
けれど
それは掴もうとすると霧のように
消えてしまう
あの手の温もり、あの声……
「澄音ーー」
不意に、誰かが自分の名を呼ぶ
声が聞こえた気がした。
心の奥で誰かの声が呼びかけている……
あたたかく懐かしい声。
でも、なぜだろう思い出そうとすると胸が締め付けられる。
ほのかに梅の香りが漂と
「おれは澄音の笑顔が見てぇんだ。」
ふと、心の奥に蘇る記憶——
そうか



あの方は、私の笑顔が見たいと言ってくれた方でしたか


震える手で、花弁を握りしめた



私も……もう一度、お会いしとうございます……


澄音の頬を一筋の涙が静かに伝った。
その指先に握られていた
一枚の梅の花弁。
力を失った手がほどけ——
ひらり
淡い香りを残しながら
花弁は澄音の指から離れ
月明かりを受けて儚く舞い
そして床へ落ちた。
その静かな落下とは対照的に
教会の外では儀式の準備が
不気味なほど整然と
音もなく進んでいた。
夜の闇が静かに辺りを包み込む中
お雪は無言で馬の手綱を引いていた。
荷台には意識のない鷹丸が
横たわっている。
身体には戦いの傷が刻まれ
血の匂いが夜気に溶けていた。
すると
馬車の上で横たわる鷹丸の耳が
かすかにピクリと動いた。
次の瞬間、荷台の揺れと共に
鷹丸の身体がずるりと転げ落ちた。
ごろりと地面に転がると
痛みに顔をしかめながらも
ゆっくりと膝をつき
手をついて立ち上がる。
膝ががくりと崩れるが
それでも踏ん張り前に進む。
血に濡れた衣が冷たい夜風に揺れた。



おや、鷹丸……そんなに死にたいのかい?


馬の手綱を引きながら
お雪が振り返る。
彼女の顔には呆れと嘲りが
入り混じっていた。
しかし、鷹丸はふらつきながらも一歩、また一歩と前へ進む。



……オレは……死なねぇんだよ


その声は低く
掠(かす)れていたが
どこかに強い意志を宿していた。
お雪は小さく息をつき
肩をすくめるとくるりと踵を返す。



そうかい、勝手にしな


それだけ言い捨て家路へと向かった。
手綱を引く指先に知らぬ間に
力がこもる。
馬のひづめが静寂の中に乾いた
音を響かせるたび胸の奥が微かに疼いた。
ほんの一瞬、過去の記憶がよぎる
自分の手で妖の血を利用する術を教え
裏の世界へと引きずり込んだ。
あのとき
違う道を示せていたなら
今の鷹丸は違う生き方を
していたのだろうか。



……本当に、バカな奴だねぇ……


去り際にぽつりと呟く声は
どこか苦い響きを帯びていた。
背を向けたまま
夜風に吹かれるその横顔に
悔いの色がかすかに滲んでいた。
その背中を見送ることもなく
鷹丸はただ前を向いた。
するといつの間にか
背中に小さな影が乗っていた。



ようやく本来の力を取り戻せたわ


御厄様が鷹丸の肩に小さく身を
預けるようにして囁く。



澄音を助けに行くのか?





・・・ああ


その足は迷わず確かに
教会の方角を目指していた。
夜風が吹き抜け遠くで梟が鳴いた。
御厄様はふっと目を細めると
小さく頷くようにただ静かに
背中に乗っていた。
